藍色(あいいろ)

藍色(あいいろ) 青色系統

色名・別名・系統

色名(かな) 藍色(あいいろ)
別名 特になし
系統 青色系統

藍色の色情報・カラーコード

Webカラー(HTML) #004D6E
RGB R:0 G:77 B:110
CMYK C:90% M:11% Y:0% K:66%

藍色について

藍は人類最古の植物染料の一つ

藍色あいいろとは、藍染めによる暗い青色のことです。
藍は人類最古の植物染料の一つで、藍色あいいろは藍草の葉で染めた色の総称です。
日本での藍染は、古くは山藍を使った山藍摺による青緑色でしたが、蓼藍(たであい)が中国から持ち込まれ藍染による濃い青色を染めるようになります。
藍染は飛鳥時代末期から奈良時代にかけて、中国から朝鮮半島経由で伝わったとされます。

藍は葉を刻んで発酵させ、乾かし固めた藍玉を染料とします。
藍を発酵させるには二十度以上の気温が必要なため、昔は藍玉を作ることができる時期が限られていましたが、温度を保ちながら染料を作る技術が確立し、藍染が日本全国で行われるようになります。

藍色あいいろは日本人にことのほか愛された色で、江戸時代には「藍四十八色」という言葉が生まれるほど、多彩な藍染がありました。
この「四十八」は浄土教における仏になるために四十八の誓いを立てることに由来した数字で、実際にはもっと多くの藍染があり、薄い水色のような「瓶覗かめのぞき」から、黒に近い紺色「留紺とまりこん」まで様々です。

藍染の青がジャパンブルーになった

明治23年に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は「東洋の土を踏んだ日」の中で、「小さな家々の屋根は青く、店には青い暖簾がかけられ、みんな青い着物を着ている。濃い青に白く染め抜かれたデザインで、粗末な家や衣装が華やかに見える」と書き、藍色あいいろに染まった日本の風景の美しさに魅了されています。
明治政府は文明開化の一環として、欧州から様々な専門家を教えを乞うために招聘しましたが、その中にロバート・ウィリアム・アトキンソンという科学者がいました。
彼が日本に降り立ち町に出ると、藍染の服を着た人々で溢れており、藍で統一されたような町並みと藍染の多彩さに対し、敬意をこめて「ジャパンブルー」と呼んだそうです。
アトキンソンの専門分野の一つに染料があり、色に理解が深かったことため、このような異名が生まれたのかもしれません。

昔の藍色は青緑だった

藍色あいいろといえば、現在では濃い青色のことですが、藍色あいいろという色名が登場するのは明治になってからになります。
藍色あいいろは「正倉院文書」の染紙に記されていますが、奈良時代のは藍色あいいろは、藍染の青に黄檗の黄をかけて染めた緑みの青色を指し、藍だけを染めた色は「縹」として区別されていました。
平安時代の格式を定めた延喜式には、藍色あいいろ縹色はなだいろについて定められていますが、藍色あいいろはここでも緑みの青であり、藍だけで染めた青のことは縹色です。
「延喜式」にある藍を使った色は、深藍色ふかきあいいろ中藍色なかのあいいろ浅葱色あさぎいろ白藍色しろきあいいろの4段階の色があり、いずれも藍と黄蘗を使います。
平安時代が終わり、鎌倉時代になると濃い藍染を武士たちが好んで着るようになりますが、この藍染は「褐色かちいろ」と呼ばれました。
褐色は鎌倉時代と室町時代を通して、武士が武具に好んだ用いた色です。
江戸時代になり、藍染が盛んに行われるようになり、花色はないろ縹色はなだいろ)・浅葱色あさぎいろ千草色ちぐさいろ御納戸色おなんどいろ瑠璃色るりいろ瑠璃紺るりこんなど多彩な色が染められますが、ここでも藍はあくまで染料名であり、藍色あいいろという色名は登場することがありません。

明治になり、海外からインド藍が輸入されるようになると、英語での藍色あいいろに当たる「indigo」の訳語として「藍色あいいろ」が使われるようになります。
日本の工業化が進むと共に、植物由来の藍から合成染料の藍が使われるようになると共に、花色はないろ縹色はなだいろ)・浅葱色あさぎいろといった多彩な藍染の色は、まとめて藍色あいいろ紺色こんいろとよばれるようになります。
この頃から、森鴎外や夏目漱石といった明治の文豪たちが、自信の作品で藍色あいいろ青色あおいろの表現として使うようになります。