刈安色(かりやすいろ)

刈安色(かりやすいろ) 黄色系統

色名・別名・系統

色名(かな) 刈安色(かりやすいろ)
別名 青茅(かりやすいろ)
系統 黄色系統

刈安色の色情報・カラーコード

Webカラー(HTML) #FBE82A
RGB R:251 G:232 B:42
CMYK C:0% M:0% Y:90% K:4%

刈安色について

刈安色は日本で最も古い黄色の色名

刈安色かりやすいろとは、鮮やかな黄色のことです。
刈安は日本の中部、近畿地方などに自生していたイネ科の多年草で、素手でもちぎれるほど刈り易いため、刈安という名前がついたそうです。
刈安色かりやすいろは奈良時代の「正倉院文書」にも名があり、黄色系統の色では日本で最も古い色名です。
細かく刻んで煮出した煎汁が染料となり、灰汁や明礬(みょうばん)を媒染に使うと鮮やかな黄色を染まります。

刈安の産地として有名なのが、琵琶湖の東にそびえる伊吹山で、「正倉院文書」にも近江刈安と記されています。
伊吹山は山頂近くには高木がなく草原のようになっており、太陽の光が強く照り付けます。
刈安の黄色色素はフラボンといい、紫外線から身を守るためのもので、身を遮るもののない環境で育った伊吹山の刈安は、大量の黄色色素であるフラボンを蓄えるため、伊吹山の刈安が重宝されることとなりました。
正倉院の宝物の中の黄色系の染め布の多くは、刈安で染められています。
「刈安紙」という記載もあり、和紙を染めるためにも使われました。

刈安は手に入れやすく染めやすいため幅広く活用された

刈安は手に入りやすく染めやすい草であるため、古代より大いに活用されました。
「日本書紀」には、「天下の百姓をして黄色の衣を服しむ」とあり、この黄色は刈安の色とされます。
奈良時代には色を冠位制度に用いましたが、刈安で染めた黄衣は百姓や無位無官のため色とされました。
平安時代の延喜式では、刈安染の浅黄綾は染色の最後に記載されており、日本では黄色は庶民の色でした。
日本は中国の影響を強く受け、中国では黄色は最上の色のはずですが、位色の制度を見る限り日本では黄色が尊重されなかったようです。
推古天皇11年(603)に聖徳太子が定めた冠位十二階では、黄色は七番目と八番目の色に制定されていますが、これ以降日本において黄色が高位の色だったことはありません。

刈安は藍と合わせて緑色を染めるために使われることも多く、天平勝宝9歳(757)に東大寺で行われた聖武天皇の一周忌に用いられた紫地唐花獅子文錦と緑地唐花獅子文錦および錦幡の黄色部分は刈安で、緑地部分は刈安と藍、紫地部分は茜が使用されています。
植物の葉などの緑色は直接染めても定着できないため、平安以降、江戸時代に至るまで、緑色を染めるためには、刈安で下染してから藍色あいいろを重ねて緑色みどりいろにするしかありませんでした。

同じイネ科で日本各地の野原や道端に生息する「小鮒草」も、刈安に似た鮮やかな黄色を染める染料となります。
東京南方の八丈島では多く生息し「八丈刈安」と呼ばれており、これを使って染めた黄色の糸と、タブノキの鳶色の糸、もしくは椎などの樹皮で染めた黒糸を縞模様や格子模様に織りあげた布を「黄八丈」とよびます。
黄八丈は江戸時代、町人の粋な着物としてもてはやされました。