桜色(さくらいろ)

桜色(さくらいろ) 桃色系統

色名・別名・系統

色名(かな) 桜色(さくらいろ)
別名 特になし
系統 桃色系統

桜色の色情報・カラーコード

Webカラー(HTML) #F4E0E1
RGB R:244 G:224 B:225
CMYK C:0% M:10% Y:3% K:3%

桜色について

桜色は平安時代を彩る色

桜色さくらいろとは、桜の花びらを思わせる淡い桃色ももいろ(ピンク色)のことです。
紅染の色は多くありますが、その中で最も淡い色が桜色さくらいろです。
桜色さくらいろは平安時代より一般的に使われ始め、紅花または蘇芳で淡く染める色です。

奈良時代、万葉集では花見といえば梅を見ることでしたが、平安時代、古今和歌集では花見といえば桜を見ることに変化します。
桓武天皇が御所の紫宸殿の前庭の元は梅があったところに、吉野から取り寄せた桜を植えたことに始まるそうです。
梅は中国から輸入したもので山桜は日本の固有種、これは日本固有の文化を重視することにもつながっていると思います。

現代において桜と言えば染井吉野(そめいよしの)ですが、平安時代の桜は山桜を指し、桜色さくらいろは山桜の色です。
ソメイヨシノは江戸末期に品種改良されたものであり、平安時代には存在しません。
余談ですが、化学的なアプローチが可能になった近年になり、桜の樹皮で染めることも可能になったそうです。

桜色は男女問わず愛された色

花の宴は桓武天皇の皇子である嵯峨天皇が弘仁三年(812)の二月に催され、その後もたびたび行われました。
桜の花の盛りの頃には「花の宴」が催され、音楽を奏で桜を見つつ歌を詠むという華やかな時を過ごしのでしょう。
桜色さくらいろは襲の色目や平安文学にもよく出てきますが、女性だけの色ではなく、「石竹」「桃」「撫子」など紅の濃淡色と組み合わせて、能装束や武将の小袖などにも多く使われました。

清少納言は枕草子にて「狩衣(かりぎぬ)は 香染の薄き。白きふくさ。赤色。松の葉色。青葉。桜。柳。また青き。藤。男は 何の色の衣をも着たれ。」と書き、これは「狩衣(かりぎぬ)は、香染(こうぞめ)の薄いもの。白いふくさ。赤色の。松の葉色。青葉の色。桜襲のもの。柳色のもの。藤色。男はどんな色の衣でも着ている」という意味です。
襲の色目の中には桜に関するものがいくつもあり、「桜」「樺桜」「薄花桜」などがあります。

紀有朋が「古今和歌集」にて「さくら色に衣はふかくそめてきん 花のちりなん後のかたみに」と詠みましたが、これは桜色さくらいろの衣を着ることで桜が散った後でもその美しさに思いをはせたいという意味で、この頃には桜の花の色は日本人の心を捉えて離さないものになっていました。