色名・別名・系統
| 色名(かな) | 青色(あおいろ) |
| 別名 | 蒼色(あおいろ)、碧色(あおいろ) |
| 系統 | 青色系統 |
青色の色情報・カラーコード
| Webカラー(HTML) | #0078B2 |
| RGB | R:0 G:120 B:178 |
| CMYK | C:100% M:25% Y:0% K:20% |
青色について
青は緑色など多くの色を指す言葉でした
青色とは、日本における最も古い色の一つで、純粋な青色のことです。
現在では、緑がかった青色からや紫がかった青色、水色のような明るい青色や紺色のような濃い青色まで、幅広い色域を含んでいます。
ですが古代日本では青みを帯びた色だけでなく、植物などの緑色も含んでおり、今よりずっと多くの色を含んだ色名でした。
古事記には「大和は 国のまほろば たたなづく 青柿山ごもれる 倭し 美し(うるわし)」という歌がありますが、この「青柿山ごもれる」は「青々と茂る山々が、垣根のように周囲を囲んでいる」という意味で、青と緑の区別はされていないことが分かります。
青の反対色は赤ですが、古代の赤と青の境界は黄とオレンジの間にあったという説もあり、「大日本方言辞典」によれば、青森・新潟・岐阜・福岡・沖縄といった地方では、青は緑色だけでなく黄色も含んでいたそうです。
また黒や白を指すこともあり、旧暦の一月七日に日本の宮中で「白馬節会(あおうまのせちえ)」という行事が行われていましたが、この「あおうま」は芦毛(灰色)または青毛(黒毛)となっています。
この行事は「正月に春の色である「青」い馬を見ると一年の邪気を祓える」という中国の五行説が元になっており、後に白を神聖視する日本独自のカスタマイズがなされて、「あおうま」は白馬をも指すようになったそうです。
「あお」は「あか」「くろ」「しろ」以外の漠然とした色全てを指す言葉で、かなり幅広い対象に使われました。
青は太陽の出没に関係した色
青は「黒」「白」「青」と共に古事記に記された日本最古の色で、これらは全て太陽の出没に関係した色です。これらを「明、暗、顕、漠」という言葉で表し、明はあか、暗はくろ、顕はしろ、漠はあおに対応する言葉であるとしました。
「漠」は「顕」と対になる言葉であるため、青は白と対比する色として生まれました。
「漠(青)」は明と暗の中間の状態、つまり青みがかってはっきりと認識できない状態を指します。
「顕(白)」は太陽が昇り、白みがかった光が降り注ぎ周りがはっきりと見える状態を意味します。
「漠」のさんずい(シ)は青い水を、莫の字は草むらに太陽が沈んだ薄暗い「青」の状態を表し、これを「漠し(あおし」」といい、「あお」つまり青色が生まれました。
青は赤・黒・白に比べて地味な色
青色は洋の東西に関係なく、古代には日常とは異なる世界の色とされ、日常生活ではあまり重要視される色ではなかったようです。神性な白、鮮やかな赤、重厚な黒にくらべて、青はインパクトに欠ける色でした。
古代日本でも青はあまりよい扱いを受けず、色が身分を示す冠位制度では、聖徳太子が定めた冠位十二階以外では、青と緑はそろって最下位と下から二番目の色に定められています。
冠位制度における青色は「縹色」とよばれ、もとは露草の花で染めた青という意味の「花色」をもじった色名です。
濃い縹色は深縹、薄い縹色は浅縹と言い、縹色の染料は藍を使います。
古代において、青を作る素材として藍は大変重要で、藍以外では藍銅鉱(アズライト)やラピスラズリなど貴重で高価な鉱石しかありませんでした。
藍染が発達するにつれ様々な青色が生まれた
藍を使った色と言えばまず藍色が思い浮かびますが、この時代に藍色は藍と黄色染料である黄蘗を合わせた青緑色を指します。これは平安時代になっても同じで、延喜式に定められた藍色は藍と黄蘗による青緑色のままです。
平安時代には水色や空色といった色名が生まれましたが、紫色や紅色のほうが断然人気がありました。
鎌倉時代以降、武士の時代になると、藍で濃く染めた褐色や紺色が武士に好まれ、鎧などの武具に使われるようになります。
室町時代には、藍染を生業とする紺搔とよばれる職人集団が生まれ、藍染による青色が普及する下地が出来上がります。
戦国時代が終わり平和な江戸時代になると、流通が改善し、阿波徳島など藍を特産品とする藩も生まれ、藍染を行う紺屋が町に一軒はあるくらい藍染が普及し、多彩な青色が染められるようになります。
江戸庶民は藍染を好み、多くの人が多様な藍染の青を着ていたようで、明治になって訪れた外国人はその青で溢れた光景を「ジャパンブルー」と評しました。
