紅(くれない)、紅色(べにいろ)

紅(くれない・べに) 赤色系統

色名・別名・系統

色名(かな) 紅(くれない)、紅色(べにいろ)
別名 紅色(べにいろ)、呉藍(くれない)、韓紅花(からくれない)、唐紅(からくれない)
系統 赤色系統

紅・紅色の色情報・カラーコード

Webカラー(HTML) #E23C56
RGB R:226 G:60 B:86
CMYK C:0% M:90% Y:56% K:5%

紅・紅色について

紅は日本の伝統色の中で代表的な赤色

紅・紅色くれない・べにいろとは、ピンクがかった鮮やかな赤色を指します。
紅色は紅花の花弁を干し、黄の色素を取り除いて赤色色素だけで染めた赤色です。
別名を呉藍(くれない)、韓紅花(からくれない)、唐紅(からくれない)ともいいます。
染料の使用量によって、濃赤色からピンク系統の色まで様々な色に染め分けることができ、赤系の伝統色の多くは紅を使った色になります。

紅花はエジプトが原産地とよばれ、紀元前2世紀頃には北方の遊牧民族の匈奴へ伝わり、燕支山という場所で栽培していたようです。
それから紀元前127年に、古代中国の前漢の武帝は匈奴から燕支山を含む領地を奪い取ることで、紅花は中国で栽培されるようになり、古代朝鮮の高句麗の僧から日本に伝えられたと言われています。

古くは中国の呉から伝わったという意味から呉藍と呼ばれ、それが転じて「紅(くれない)」と呼ばれるようになりました。
藍は現在では濃い青色ですが、藍は最も代表的な染料であったことから、中国では藍のことを染料の総称としていました。
なので紅は紅藍と呼ばれ、それが日本では紅藍が呉藍になったそうです。

日本人は熱烈に紅色を愛しました

日本に伝わったのは五世紀頃といわれ、万葉集には「紅の花にしあらば衣手に染め付け持ちて行くべく思ほゆ」など紅を詠んだ歌があり、万葉の時代から紅花染めは人々に愛されていました。
奈良時代の「正倉院文書」には紅臈纈、紅紙など、おびただしい数の「紅」の文字が使われています。
平安時代には中国の唐の文化に強い影響を受けるようになり、紅は「唐紅」や「韓紅」と呼ばれるようになります。
平安時代の格式を定めた法典「延喜式」には、韓紅花からくれない中紅花なかのくれない退染(退紅)あらぞめという紅花を使った色名があり、どれも高貴な色とされました。

紅色べにいろは平安時代の憧れの色だったので、紅花は高級品だったにもかかわらず、身分不相応に衣服を染める人が後を絶たなかったため、社会問題化し身分による使用制限が制定されるようになり、最終的には冷泉天皇(976~979)の時代に禁色となりました。
その後、身分による使用制限は有名無実化しましたが、紅花は高価で貴重なのは変わらず、江戸時代には「片紅一両は金一両」といわれ、贅沢品として何度か使用が禁じられました。
紅花で染めた色は本紅とよばれ、比較的手に入れやすい蘇芳でそめた似紅にせべにとは区別されました。
現在では、紅色べにいろは日本国旗の赤丸の色であり、日本を象徴する色となっています。

日本での紅の原料について

日本では紅の染料のことを紅餅といいます。
紅餅は紅花の花びらを加工したもので、保存が効き、乾燥した花びらより赤い色素が多く溶けだします。
まず紅花の花弁を摘み、花を洗って花びらの黄色分を洗い流します。
十分に洗った花びらを寝かせ発酵させてから臼で搗(つ)きます。
それを煎餅状にして天日に干すと完成です。
日本で紅花の主な産地となったのが最上川流域で、江戸時代中期には日本一の生産量を誇りました